それから数日経って、また雨の日だった。
「あぁお帰りなさい、お嬢さん」
 その時は珍しく居間には工しかいなかった。
「ただいまです。……あの、工さんだけですか……?」
「はい。皆さん、用事があるとかで、一応留守番を頼まれまして」
「そう、ですか……」
「お嬢さんが帰ってらっしゃったなら、俺は離れに行きますね」
 そう言って立ち上がった工を、水希は思わず引き止めていた。
「あの、ご迷惑でなければ……話し相手になって頂けませんか……?」
 言ってから水希は、自分の発言に驚いていた。
 男の人が苦手な自分が、自ら工に話し相手になって欲しいと言うなんて。

「いいですよ」
 柔らかな声が聞こえてきて、水希は我に返る。
 そうして、拒否されなかった事に安堵する。
「……といっても、どういった話をすればいいのか……」

 困ったように言う工に、水希は何だかよく分からない思いが生まれる。
(何だろう……可愛い、とは違うし……)
 心がふわっと暖かくなる感じ。
 でも少しだけ胸がキュッと苦しくなって。
 もっと傍に行きたいと思う。

 それは、水希自身がまだ知らない“愛しい”という気持ち。

「どうか、されましたか?」
 いつの間にか考え込んでいたのだろう。工が心配そうに言ってきて。
 水希は慌てて言う。
「あ、いえ、何でもありません。ええっと……そう、工さんの事、お話して頂いてもいいですか?」
「……俺なんかの事で、よければ」

 そうして、工の方が水希より二つ年上で19だとか、工という名前は父親が“苗字もシンメトリーっぽくなるんだから、名前もそうなるようにしよう”という事で付けられた。とか、高校を中退して色々なバイトをやっていて、ある時建設現場でバイト中に祖父に声を掛けられて、それで気に入られてこの家に来た。とか、色々な話を聞いた。
 水希も自分の話を少しだけして、だが家族が帰って来た所で、工は離れへと引っ込んでしまった。
「……もう少し、お話したかったな……」
 それは、水希の中で大きな変化だった。


 夕飯の時に水希が工を呼びに行くのは日課になっていて。
 水希はもうその事に何の抵抗もなかった。
 むしろ呼びに行けるのが嬉しくて。
 夕飯が楽しみだった。


 水希の誕生日のこの日も、水希は離れに工を呼びに行く。
「……あの、工さん、夕飯です。今日はご馳走ですよ」
 呼びに行くのは嬉しいが、いつも声を掛ける瞬間だけは緊張する。
 そうしてドアが開くのを待って、一緒に居間に行く、というのがいつの間にか当たり前になっていた。

「……お嬢さん」
 ドアが開いて、だか何だか工の様子がいつもと違う事に気付いた。
「工さん……?」
 緊張した面持ちで、何かを躊躇っているような感じ。
 だが、何かを決意したように、工は手に持っていた物を水希に差し出した。
「これ……っ!誕生日プレゼント、です。よろしければ、どうぞ」
 それは、不恰好なネコの彫り物だった。
「これ……」
「あの、どういった物がお好きなのか分からなくて……この間お話した時に、ネコが好きだと……それで、余った木材で自分で……ご迷惑、ですよね。こんな、変なモノ……」
 そう言って工が引っ込めようとする前に、水希は彫り物を手に取る。
「いいえ!……嬉しいです。工さんが、私の為に作って下さったんでしょう?ありがとうございます……っ!」
 水希はお礼を言うと、その彫り物を大事そうに抱き締める。
 すると次の瞬間、水希は工に抱き締められた。
「……水希、さん」
「は、はいっ」
 今まで“お嬢さん”だったのに突然名前で呼ばれ、抱き締められている事も含めて、水希は今の状況が信じられない。
「俺の事、嫌いじゃないですか……?」
 不安そうに言われて、水希は精一杯否定する。
「嫌いなんかじゃありません!その、むしろ反対と言うか……」
「……よかった」
 嬉しそうな声が聞こえて、水希は工をそっと覗い見る。
 そこには工の優しい笑顔があって。
「好きです……水希さん」
「……はい。私もです」
 二人は微笑み合った。


 お互いの事をよく知って、いい部分を発見できたら、それはとても幸せな事で。
 よく知りもしない内から相手を遠ざけるのは、きっととても損な事。
 お互いに不器用だから、すれ違う事もあるかもしれないけれど。

 それでも相手を知らずに誤解するより、知っている方が、とてもとても素敵な事。


=Fin=