≪伝えたい言葉≫


「……クソ…ッタレが……!」
 傷口が痛む。視界がぼやける。
 鼻につく血の臭いと、口の中に広がる鉄の味。
 口の中に溜まったそれを吐き出して、壁に手をついたまま歩き続ける。
 もう少し行けば、高架下の小さなトンネルがある。
 あそこは電気もなく、薄暗いから、隠れるのには絶好の場所だ。
 あそこまで行けば、少なくとも朝まで休める。仲間の所へは、それから行けばいい。
「……っはぁ……だりー……」
 暗がりに身を潜めるように、壁にもたれてズルズルと座り込む。
 それから後は、覚えていない。


「……ドコだ、ココ」
 辺りを見回して、見覚えのない部屋に頭が混乱する。

 昨日は、高架下の小さなトンネルで気を失ったんだよな?
 なのに何で、知らない部屋に居る?

 起き上がろうとして、だが、傷の痛みに顔を顰める。
「……手当てしてあるし」
 そうボンヤリ呟くと同時に物音がして、音のした方に反射的に身構える。
「誰だっ!?」
 そこに立っていたのは、何とも線の細い青年だった。
 いきなり怒鳴られた事に驚いた表情を見せていたが、それはすぐに安心したような表情に変わって。
 そうして傍まで来ると、膝をつき、じっと顔を覗き込んできた。
「な、何だよ?」
 近くで見ると、綺麗な顔をしていると思い、慌てて視線を逸らす。
 するとニッコリと笑って、分厚いメモ帳を取り出すと、何かを書き始めた。
「……?」

『大丈夫そうで、安心しました』

 そう書かれたメモ帳を見て、ニコニコ顔の青年と見比べて。
 何だか馬鹿にされてるような気がして、青年の胸倉を掴み上げる。
「テメェ、人の事おちょくってんのか!?それくらい口で言いやがれ!それとも何か?直接喋りたくねぇって事か?あ゛ぁ!?」

 自分は不良と呼ばれる人種だ。嫌われている事くらい知っている。
 だったら。
 それならそれで、怪我している自分を放っておけば、関わる事もなかったろうに。
 中途半端に構うようなマネが、一番嫌いだ。

 だが、苦しそうにしても声を出す事はなく、馬鹿馬鹿しくなって手を離す。
 すると少し咳き込み、その後またメモに何事か書き始めた。

『喉の病気で手術をして、喋れなくなったんです。筆談でしか自分の意思を伝えられません。不快な思いをさせて、すみません』

「……喋れないのかよ……悪かったな」
 少しバツが悪くなって、そっぽを向いて謝ると、彼は首を横に振った。気にしていない、という事なのだろう。
『貴女のお名前を覗ってもよろしいですか?』
「……鈴原」
 そう答えるが、彼は首を少しだけ傾げて、どうも続きを聞きたがっているようだった。
「……っ!鈴原清良っ!これで満足かよ!?」

 清良は自分の名前が嫌いだった。
 自分は清らかでも良い子でもない。
 不釣合いな名前。大嫌いな人が付けた、大嫌いな名前。

『僕は朝霞春斗といいます。清良さんは、どうしてあんな場所に?』
「……それで定着させる気かよ……っ」
 清良は、目の前にいる優男とでも呼ばれそうな春斗を、思いっ切り殴ってやりたい衝動に駆られる。
「ケンカだよ、ケンカ!ちょっと囲まれて逃げてたんだよっ」
 すると春斗は悲しそうな顔をする。
『女の子がケンカなんて、ダメですよ』
「……関係ねーだろ。テメーは近所のオバサン連中か」
 思い出すだけで腹が立つ。
 人の事をコソコソと陰口叩くくせに、ちょっと目が合うとすぐに逃げていく。

 関わりたくないなら、無視すればいいだけだろ。
 人の事見下すだけ見下しておきながら、被害者面しやがって。

『顔に傷でも残ったらどうするんですか。折角可愛い顔してるのに』
 思いも寄らない言葉に、清良は素っ頓狂な声を上げる。
「ハァ!?ちょっと待てっ!可愛い?誰が!?」
『清良さんですけど?』
 当の本人はいたって真面目らしく、本気で首を傾げている。
「ハッ……ありえねー……」
 清良は呆れて脱力し、項垂れる。
『お腹空いてませんか?ご飯ありますけど』
 そう書いて差し出されたメモをチラッと見て、清良は溜息を吐いて言った。
「……食う」