帰り際になって、清良は春斗に一枚のメモを渡された。

『いつでも来ていいですよ』

 仲間以外からで、初めて自分を受け入れてくれる言葉。
 その時は、「気が向いたらな」と口で言いながら、内心では「もうこねーよ、バーカ」と思っていた。
 なのに。
 気が付くと足が向いていた。
 家には帰りたくない。だからといって、行く所もない。
 つるんでる仲間といつも一緒にいる訳ではないし、一人になって思い出したのは、春斗の事だった。
「いつでもいいって言ったの、テメェだからな……」
 そう思って真夜中にチャイムを鳴らすと、彼は眠そうな目で玄関を開けた。
「来たぜ」
 そう言って遠慮なくずかずかと入り込む。
 春斗の家は2LKのアパートで、一人で住んでいるようだった。
『何か飲みますか?』
 ニッコリと微笑んでそう訊ねてくる春斗に、清良は眉を寄せる。
「……あのさぁ。怒んないワケ?」
 そう聞くと春斗はキョトンとする。
『いつでも来ていいと伝えたのは僕ですから。まさか夜中に来るとは思いませんでしたけど』
「……あっそ」


 それからは時々、清良は春斗の元を意味なく訪れるようになった。
 流石に夜中に行くのはやめたが、行くと大抵いつも家にいる。
「アンタさー……仕事何してるの?」
『翻訳の仕事です。これだと家で一人で出来るので』
「……マジ?頭いいんだー……」
 清良がそう言うと、春斗は少しだけ困ったような顔をした。
『僕は結構辞書に頼ってますから。調べて訳すだけなら、時間をかければ大抵の人が出来ると思いますよ』
「あーアタシ無理。そーいう地道な作業は向いてないから」
 その言葉に春斗が苦笑する。

 そんな他愛無い会話。やり取り。
 だけどそれが、凄く心地いいもので。
 仲間とつるんでケンカと悪さを繰り返すより、よっぽど安らいだ。

 今までは何をしても虚しさは埋められなくて。
 その事にイライラして、周りに当り散らすようにケンカをして、悪さをして、バカな事やって。
 周りの大人達はそれを疎ましく思って、見下し、蔑んで。
 またイライラして……。
 そんな悪循環の繰り返し。

 でも。
 本当はイヤだった。
 自分を傷付けて、他人を、周りを傷付けて。
 埋められない虚しさは、逆にどんどん広がっていくようで。
 仲間といる時は感じなくても、一人になると途端に感じる虚しさと孤独。

 それが春斗といると、何だか落ち着く。
 まるで自分の居場所みたいな、暖かい感じ。
 もう、何年も前に忘れてしまった感覚。

 次第に清良は、仲間とつるむよりも、春斗の家に入り浸る事の方が多くなっていった。


 そんなある日の事。
「すずはらー。あんたさぁ……最近付き合い悪くね?」
「そーお?」
「悪いって。……まさか、抜けようなんて思ってないよねぇ?」
「忘れてないよねぇ?抜ける時は脱会リンチあるって」
「……」
 不良グループを抜ける為には、脱会リンチを受けなければならない。
 抵抗は許されているが、数十人相手に一斉にボコボコにされる。自分も過去、それに加わった事もある。
 忘れる訳がない。
 運が良ければ多少の骨折で済むが、下手をすれば瀕死、というものだ。

 本当は清良は迷っていた。もういい加減、こんな馬鹿げた事は止めるべきなのだと。
 どれだけ不良として突っ張ってみても、本当の意味で、欲しいモノは絶対に手に入らないのだと。
 だが、脱会リンチの恐ろしさが清良の気持ちに歯止めをかけていた。


「……例えばさ」
 清良がそう口を開くと、今までノートパソコンに向かっていた春斗が顔を上げる。
「もう止めたいと思う事があって。実際にそれは、止めた方が良いし、止めなきゃいけない事で。でもそれで死にそうなくらい痛い目に遭わないと止められないってなったら、どうする?」
 すると春斗は、少し考える素振りをしてメモに書く。
『僕ならそれでも止めますよ』
「……死ぬかもしれなくても?」
『それさえ何とかやり過ごせば、確実に止められるんでしょう?』
「そうだけどさ……」
『行動して後悔するより、行動しないで後悔する方が、後から余計に悔やまれますよ』
「……」


「グループを抜ける?マジで言ってんの?」
「マジだよ」
「脱会リンチの事……知ってるよねぇ?」
「……知ってる」
「ならさぁ……覚悟できてんだ」

 清良は今にも逃げ出したかった。
 覚悟なんて本当はない。
 それでも。
 行動しないで後悔するより、行動して新しい選択肢を手に入れたかった。

「じゃあ……皆、思う存分痛めつけてやれ」
 囲まれた。もう逃げられない。

「……春斗……アンタに逢えて良かった……」

 願わくば。
 元気でもう一度、逢いたい。