病院を退院すると、春斗が『ウチに来ませんか?』と誘ってくれた。
最初は、今まで通り、普通に遊びに行くみたいな感覚だった。
だが。
「……コレ何」
『何って、この家の鍵ですよ。これからココに住むのに、鍵がないと不便でしょう?』
「……は?」
さも当たり前の事のような言葉に、清良は一瞬何の事か分からなかった。
「ココに住む?これから?……アタシが?」
『ウチに来ませんか?って聞いたら、いいよって言ったじゃないですか』
「……アレってそういう意味だったの?マジかよ……」
そう言って溜息を吐くと、春斗は途端にしょんぼりした顔になる。
『嫌ですか?』
「嫌って言うか……アタシはそういう意味に思ってなかったんだけど」
『では改めて。一緒に住みませんか?』
ストレートなその言葉に、清良は春斗の真意を計り兼ねる。
ただの善意か同情か。それとも……。
「ねぇ……今まで不思議だったんだけどさ。最初に何でアタシを助けたの?いっつも突然押しかけても、何で嫌な顔一つしないの?何で毎日見舞いに来てくれたの?何で……そこまでアタシに構うの?」
一息にそう聞くと、春斗は驚いたように瞬きをして、何事か書き始める。
『助けたのは、何だか放っておけなかったから。弱ってる姿を隠すように暗がりに身を潜めて、まるで猫みたいだと思った。それから後の事は、全部僕のエゴみたいなモノです』
「エゴ?」
『僕は喋る事が出来ません。だから手話の出来ない普通の人は、僕とのコミュニケーション方法が面倒で。次第に距離を置くようになるんです』
「……まぁスムーズに会話は出来ないしな」
『僕の周りには、今まで積極的に僕と関わろうという人がいませんでした』
春斗は、言葉をそこで区切るようにメモ帳のページを捲る。
『だから、嬉しかったんです。ただの暇潰しでも何でも、どんな理由であれ、僕の傍にいてくれたから。貴女の寂しさを、利用してたんです』
「……」
『軽蔑しますか?』
ただ真っ直ぐに、自分を見つめてくる春斗。
彼も自分と同じ、一人ぼっちだったのだ。
その寂しさは、清良にもよく分かる。
「……軽蔑なんて、しない。だってアタシも同じだもん。嫌な顔一つしないアンタの優しさに付け込んで、自分の寂しさを紛らす為に、利用してた」
寂しさを紛らす為。
不良グループに入ったのも、それが目的だった。
『僕は優しくなんかないですよ』
「いーや、アンタは馬鹿みたいに優しいお人好しだ。じゃなきゃ、いくら寂しさを紛らす為とはいえ、アタシみたいな厄介者に構うかよ。家で仕事してるんだから、ペットでも何でも飼えばいい話だろ」
すると春斗は困ったような顔をする。
『ペットとは会話できませんから』
「……人の方がいいってか」
清良は呆れたようにそう言って。
ちらっと視線が合うと、思わず二人とも笑っていた。
「なぁ。手話、教えてよ」
『いいですよ。でもどうして?』
「やっぱ不便だろ。いちいちメモに書くの。……それに、さ」
少しだけ照れたような表情の清良に、春斗は首を傾げる。
「直接会話したいし……」
そう言うと、春斗は途端に嬉しそうな顔をする。
「と、とにかくだ。……何でもいいから、少しずつ自分に出来る事を探していきたいんだ。手話も、覚えきれるかどうか分かんないけどさ、でも、ちょっとずつ頑張ってみようと思うんだ」
清良の前向きな言葉に、春斗はニッコリと微笑むと、彼女の頭を撫でてやる。
「……あのさ。ガキじゃないんだから、頭撫でんな?」
少し怒りを滲ませた言葉に、春斗は頭を撫でながら首を横に振る。
「じゃあ何だってんだよ」
憮然とした表情に、メモに言葉を書いて見せる。
『可愛いなと思って』
「な……っ!」
思った通りに顔を真っ赤にさせる清良に、続けて言葉を綴る。
『愛情表現です。抱き締められる方がよかったですか?』
「そういう事を真顔で書くなっ!言われるよりも恥ずかしいっ」
そうしてそっぽを向いてしまった清良を、ギュッと抱き締める。
「アンタ、性格悪すぎ……」
呟くようにそう言った清良を抱き締めたまま、春斗は再び何事か書く。
『そろそろ、いい加減“春斗”って、名前で呼んで下さい』
その言葉を微笑みと共に出されて。
清良は同じ事を呟く。
「本当に……春斗って性格悪い」
すると、春斗は嬉しそうに破願した。
伝えたい言葉がある。
でもそれを、声に乗せられない事もあるから。
人はこうして、文字を綴る。
それも一つの手段だから。
=Fin=