香代子が配属されてから数日。
 冴が見る限り、香代子の就業態度自体は、真面目なものだったのだが。
 休憩時間や終業後は、必ず毅に親しげに話しかけに行くのだ。
 毅の大学の後輩、という事で、一応周りの女子社員達も香代子の毅に対する親しげな様子には納得しているようだが、それでも不穏な空気が日に増し 強まっているような気がするのは、冴の気のせいではないだろう。
 事実、時々香代子の悪口を耳にする機会があったから。

 そうして当の毅はというと。
 軽くあしらう様子を見せながらも、それでも他の女子社員達とは明らかに対応が違う。

 少し砕けた口調と、親しげな笑み。
 それを目にする度、冴は胸が締め付けられるような想いと、大きな不安に襲われた。


「――……え…ん……の……なし……すか?さ…さん」
「……」
「冴さんっ!」
「っ!?な、何?」
「もー。俺の話、ちゃんと聞いてるんですか?」
「あ……ごめん」
 毅と二人でいる時も、頭の中は香代子の存在が重く圧し掛かっていて。
 ついつい冴は考え込んでしまう。
「……何だった?」
「夜桜見に行きませんか、って言ったんです。……何か悩み事ですか?」
「ううん、別に……。ただ、自分の仕事抱えながら新人の面倒見るって、ちょっと大変だから。疲れてるのかも」
 ぎこちない笑みを浮べながら冴はそう言う。
 すると毅は昨年の事を思い出したのだろう。
 少し落ち込み気味に聞く。
「……俺の時も、大変でした?」
「気にしなくていいわ。毎年の事だし」
「最初の頃……まだ冴さんを意識する前。俺、結構迷惑掛けてましたよね」
「だから気にしないでって。最初から何でもできる訳ないんだから。同じミスを繰り返されたら、流石に嫌になるけど……毅君はそんな事なかったでしょ?」
 そう言いながら、冴は入ってきたばかりの頃の毅を思い出す。

 最初の頃の毅は何度かミスもあって。
 でも、次からは同じミスをしないように一生懸命だった。
 そのちゃんと仕事に真面目に取り組む、という姿勢に冴は好感を覚えたものだ。

 と、そこで毅が少し大きめの声を上げる。
「あ、もしかして冴さん、香代がミスしまくってるとか?」
 その言葉を聞いて、冴はズキッと胸が痛んだ。

 香代。

 確かにそう呼んだ。
 今のは聞き間違いなんかじゃない。

 その事に冴が思わず顔を歪めると、毅は訝しげな顔をする。
「冴さん?」
 そうしてその手が頬に添えられる。
 ――その前に。
 冴は思わずその手を払い除けていた。
「あ……」
 無意識の内にしてしまった行動に冴は動揺し、毅はまさか拒絶されるとは思いもしなかった為、呆然と固まって。
 一瞬、その場に気まずい雰囲気が流れる。
「……冴さん」
「っ……!」
 毅の固い声に、冴はビクッと肩を竦ませる。

 嫌われた?
 それとも、愛想を尽かされた?
 嫌だ。
 何か言わなきゃ。
 でも、何て?
 そう考えるのに、何も言葉が出てこない。
 頭の中が。
 真っ白になる。

 そんな冴の耳に聞こえてきた、毅の言葉は。
「冴さん……泣かないで下さいよ」
 そんな言葉で。
「え……?」
 冴は自分の頬に手を当ててみる。
「……本当だ……何で、涙なんか……」
 自分でも気付かない間に流れていた涙に冴が驚いていると、ふわっと抱き締められる感触がして。
「……毅、君」
 冴を抱き締めた毅は、そのまま片手を冴の頬に当て、親指で涙を拭った。
「どうかしましたか?何かあったのなら、ちゃんと俺に話してくださいよ。じゃないと、不安になるじゃないですか」
「不安……?どうして毅君が……」

「大好きな人の涙の訳は、誰だって知りたいモンじゃないですかね?」

 その言葉に、冴はトクンと一つ、心臓が跳ねた気がした。
 優しくて、どこか寂しそうな毅の笑顔。
 それを見て冴は、今不安に思っている事をちゃんと話そうと決めた。