引越し、編入手続きとを慌ただしく終え、やっと生活が落ち着いたのは、一ヶ月程経ってからだった。
「学校にはもう慣れた?」
「うん。大分」
 幸花は中等部の外部組に、親の都合で編入した事になっている。


 ちなみに月羽矢では、幼等部からの者を内部組、中学受験で入って来た者を外部組と分けている。
 この二つは、高等部で更に高校受験で入って来た者達と一緒にされる。


 幸花は学校では苗字を、向井と偽名を使っている。
 これも全て理事長の配慮で、事情を知るのは本当にごく一部の先生方のみ。
「そっか。……なぁ幸花。今度何処かに遊びに行かないか?」
「え?」
「ほら、急に環境も変わって、何かとばたばたしていただろう?だからここらで息抜きも兼ねて。何処でもいいぞ?」
 辛い事もあったし、という言葉は飲み込んでおく事にする。
「……いいの?」
「いいよ。何処がいい?」
「えっと……じゃあ、遊園地……」
 少し遠慮がちに言う幸花に、龍矢は内心苦笑する。
「うん、じゃあ今度の休日に」
「うんっありがとう!」
 それでも素直に喜ぶ幸花に、まだまだ子供だなと思う。
 だが、この時龍矢はまだ気付いていなかった。
 幸花の抱える心的外傷(トラウマ)に。


 それは、休日になって出掛ける支度をして、車の前まで行った時だった。
 急に幸花の様子が急変した。
 顔は真っ青になり、その場に蹲って、震えている。
「幸花?どうした?」
 龍矢は慌てて様子を伺う。
 だが、幸花は首を横に振るだけで。
 涙まで流しているというのに。
 一体どうしたというのだろう?
 龍矢は一旦落ち着きを取り戻して考える。
 そうして思い至った一つの事柄。

 車、だ。

 幸花は車に乗るのが怖いのだ。
 両親を、そして全てを失った原因であるあの事故を思い出すから。
 それが分かれば、思い当たる節なんて今まで幾つもあった事に気付く。
 喫茶店で再会したあの日。
 施設には電車で行った。
 今の部屋に引っ越して来た時も、「駅からの道覚えたいから」と言って、電車を使った。
 通学も勿論電車。
 一度、車で送ろうか?と言った時も、「先生と生徒が一緒に登校してきたらおかしいでしょ?折角隠してるのに」と断られた。
 念の為、従兄妹だというのも大っぴらには口外していないのだから。

 どうして気付いてやれなかったのだろうか?
 多分幸花は一人で苦しんでいたんだ。
 全てを笑顔で包み隠して。俺を心配させまいと。

 ……俺は幸花の何を見ていたんだ。

「幸花。今日はやめにして、また今度電車で行こう?」
「ごめ……なさ……」
 震える幸花を抱き上げ、家へと戻る。


 昼頃になると、大分落ち着いたようだった。
「幸花……気分はもう平気か?ごめんな。気付いてやれなくて」
「違……っ龍矢お兄ちゃんのせいじゃないよ!私が言わなかったから……もう平気だと思ったから……」
「大丈夫。怒ってないよ?無理する事ないんだ。今度からは電車で行こう?」
 龍矢がそう言って幸花の頭を撫でてやると、彼女は嬉しそうに笑った。