≪欲しいならあげる≫
一葉が苛々しながら日々を過ごしていたある日。
家に帰ると洋一がリビングのソファで本を読んでいた。
……へー。珍しい事もあるもんね。
そんな風に思って、その時は大して気にもせずに、自室へ引っ込んだ。
制服を着替えて、明日の授業の準備をして。
課題をやろうと思って、飲み物を取りに台所へと行く。
台所はリビングに面している為、顔を上げるとソファに座っている洋一の横顔がハッキリ見える。
あぁ。真面目に本読んでる時は、それなりにカッコイイな……無精髭、邪魔だけど。
そんな事を思いながら、ふと彼の読んでいる本に目を向ける。
「……あーーーーー!!!」
「っ!?」
突然の一葉の大きな声に、洋一は思い切りビクッ!と肩を震わせた。
「い、一葉ちゃん……?急にどうしたの……?」
恐る恐るという風に聞く洋一に、だが一葉は興奮したように言う。
「それ!その本!もしかして、幻の詩集!?」
「……幻……?」
「あー!やっぱりそうだぁ!こんな所でお目に掛かれるなんて、思ってもみなかった!」
興奮状態の一葉に、洋一の頭は?で一杯になる。
「……一葉ちゃん……?」
怪訝そうに言われ、ようやく一葉は我に返った。
「あ……ごめんなさい」
「別にいいよ。それより、どうしてこれが“幻の詩集”なの?」
そう問われ、一葉は話そうかどうか迷ったように口篭る。
「えっと、その……笑いませんか?」
「笑わないよ」
優しげな声でそう言われ、それでも一葉は躊躇いがちに口を開く。
「……その詩集、色んな詩人の初期の作品を集めたものですよね」
「うん、そうだね」
「それで……その本、もう絶版になってて、古本屋でも全然ないんですよ」
「……そうなの?だから、幻?」
そう聞かれて一葉は頷く。だが、まだ何かあるようだった。
「……その中に、“イチ”っていう詩人の詩、ありますよね」
「“イチ”、ね。……あるよ」
「“イチ”だけ……初期の作品を自分の詩集に載せてないんです。だから、ファンの間では“幻の詩集”って呼ばれてて……」
話しながら一葉は、どんどん俯いて小声になっていく。
「ふーん。……一葉ちゃんは、その“イチ”のファンなんだ」
「……はい」
今時の高校生で、詩人が好き、というのは、何かと敬遠されがちで。
一葉は周りにその事をあまり言わない。
偶然見つけた“イチ”という名前に親近感を覚えて、手に取って見た詩集の言葉に惹かれた。
だから、別に自分で詩を作る事もしないし、他の詩人の詩集は読まない。
なのに“イチ”の事を言うと、勝手に文学少女だとか、変なイメージを付けられる。
好きな事をハッキリ“好き”と言えない自分は本当は嫌だけど、仕方のない事だと思っている。
だから一葉は洋一の反応を見るのが少し怖かった。
勝手なイメージで自分を見られるのが、何より嫌だったから。
だけど。
「“イチ”の詩、好き?」
「……はい」
「そっか。じゃあさ」
「?」
「欲しいならあげる」
思ってもみなかった言葉に、一葉は目を瞠る。
「え……え?」
「だから。欲しいならこの詩集、一葉ちゃんにあげるよ」
そう言って洋一は、一葉の手に詩集をポンと乗せる。
「好きだっていう人が持ってる方がいいでしょ」
「……で、でも」
「この本はもう一葉ちゃんの。だから、この話はもうお終い」
「……いいんですか……?」
「俺はもうその本何度も読んでるし。ま、読みたくなったら言うから、その時は貸してね?」
「はい……」
そうして洋一はリビングから出て行ってしまう。
後に残された一葉は、大事そうにその詩集を抱えると、小さな声で言った。
「ありがとう……洋一お兄ちゃん」