≪何も考えられない≫


 洋一に貰った詩集は、一葉の宝物になった。
 それは“イチ”の初期の作品が載っているからだけではなく、洋一に貰ったという事も含めて。

 洋一の生活態度を見ていると、一葉は相変わらず苛々するが、時々、彼がふと見せる何気ない表情だとか仕草に、ドキッとする。
 写真で一目惚れしたわりに、一葉はそれほど実際に会った洋一に対して幻滅してはいないという事の表れなのだろうか?


 そんなある日、一葉はリビングのソファで寝転んで雑誌を読んでいた。
 メールを告げる着信音に、雑誌からは目を離さず、手探りでテーブルの上に置いてあった携帯に手を伸ばす。
 と、取り損ねて床に落としてしまった。
「あちゃー……ん?何コレ」
 床に落とした携帯を拾おうと下を見ると、ソファの下に紙が落ちているのに気付いた。
 誰のかは知らないが、きっと机で何か書いていて、落とした時にソファの隙間に入り込んで、そのまま気付かなかったのだろう。
「……これ……詩?」
 その紙には、とても綺麗な字で詩のような文章が書き綴られていた。
 ただ、それは。
「何か……“イチ”の詩みたい」
 思わずそう言って笑い、これは洋一の書いた詩だと思った。
 詩集を読んでいたくらいだ。しかも、何度も読んだ、と言っていた。
 それなら自分で真似して書いてもおかしくはない。
「詩を書くの、趣味なのかな……でも、“イチ”の真似してちゃ、まだまだよねー」
 まぁ、真似にしては良く書けてると思うけど。
 そんな事を思って、一葉は洋一にその紙を渡しに行った。

 コンコンと、洋一の部屋のドアをノックして声を掛ける。
「一葉です。今いいですか?」
 そうして暫くしてドアが開けられる。
「何?一葉ちゃんが俺の部屋尋ねてくるなんて珍しい」
「コレ。落ちてました」
 そう言って先程見つけた詩の書かれた紙を見せると、洋一は顔色を変え、その紙をひったくるように一葉の手から奪った。
「……これ、どこで見つけた?」
「え……リビングの、ソファの下ですけど……」
「……そう」
 物凄い形相で、一葉の顔も見ずにそう言うと、洋一はバタンと乱暴にドアを閉めた。
 突然の事に一葉は唖然としていたが、我に返ると物凄く腹が立った。

 今の態度は何!?
 折角届けてあげたのに!お礼の一言もナシ?
 や、別にお礼を言って欲しかった訳じゃないけど。
 でも。
「……感じ悪ーい」

 その後、洋一はその事に触れなかったし、一葉は暫く腹を立てていたが、その内忘れてしまった。


 だがその詩は、思いも寄らなかった所で再び一葉の目に触れる事になった。

「今日は“イチ”の新しい詩集の発売日♪」
 浮かれ気分で一葉は本屋に行って、詩集を買う。
 そうして自分の部屋でゆっくりとその詩集を読んでいる時だった。
「え……?嘘、何で……」

 見覚えのある詩が、そこにあった。

「コレ……!何で、洋一お兄ちゃんの、詩……」
 それは確かに、ソファの下で見つけた洋一の詩。
 一瞬、盗作とも考えたが、それはないだろう。
 そうして、ある一つの事柄が頭に浮かぶ。
「ま、さか……」
 考えたくない。
 そんな事、あるハズない。
 でも、確かめない訳にはいかない。

 “イチ”の初期の作品が載った、今では幻とされる詩集を持っていた事。
 ファンという訳ではなさそうだったのに、“イチ”の詩とよく似た文体の詩を書いていた事。
 何よりあの時の、あの様子、あの態度……あの表情。
 そこから導き出される答えは――。

 一葉はノックもせずに洋一の部屋のドアを乱暴に開ける。
「……一葉、ちゃん……」
「どういう事」
「……何の事かな」
「とぼけないで。何で“イチ”の最新の詩集に、この前の詩が載ってるの?」

 お願い。否定して。

「“イチ”、なの……?」

 自分は“イチ”じゃないって。偶然同じような詩が載ってるだけだって。

「何か、答えて」

 でないと、私は……。

 だが、洋一の口から発せられた言葉は。
「……ごめん……」
 それは、つまり。
「認めるの……?」
 洋一は、ただバツが悪そうに俯いているだけだった。
 でもそれは一葉の問いを肯定しているのと同じ事で。

 信じたくなかった。
 認めたくなかった。

「……最っ低」
「一葉、ちゃん……」
「最低よ!黙ってるなんて酷い!……“イチ”なんて、アンタなんて、大っ嫌い!!」
 一葉は持っていた詩集を洋一に投げ付けると、自分の部屋に閉じ篭った。

 仕事から帰ってきた両親が、一葉の様子に気付いて心配そうにドア越しに声を掛けてくる。
 だが一葉は。
「いいから放っておいて!」
 そう言って全てを拒絶した。

 裏切られた。
 ただその想いだけが強くて。
「……も、ヤダ……」
 頭の中は真っ白で。
 心の中はぐちゃぐちゃで。
 もう、何が何だか分からなくて。

 何も考えられない。