静かな部屋の中、つづりは黙々と自分の仕事を始める。
室内に聞こえるのは、エアコンの僅かな音と、文がノートパソコンに何かを打ち込む音。
それと掃除をしているつづりが出す、必要最小限の音だけで。
そんな中、突然大きな音が室内に響き渡った。
ぐぅううう〜。
「っ!」
「……今の」
それは他でもない、つづりのお腹が鳴った音で。
それもそのハズ、起きてから数時間、つづりは何も食べていないのだ。
お腹が悲鳴を上げても不思議じゃない。
「あ、あのっ、今のは、そのっ」
真っ赤な顔で、しどろもどろになりながら、つづりは必死に考える。
お腹が鳴った理由なんて、絶対に言えない。
言ったら、先程嘘を吐いた意味がなくなってしまう。
「こ、これはですね……わ、私、その……そう、牛乳!牛乳を飲むと、お腹が鳴っちゃう事があるんですっ」
とてもいい事を思い付いた、というようにつづりはそう言うが。
「……牛乳を飲んでお腹が鳴る人は確かにいるね。でも……ぐぅ、じゃなくて、ゴロゴロ、だと思うけど」
「ぅ……」
「……今のはどう聞いても、お腹の虫だよね」
「あ、う……」
「お腹が空いた時に鳴るのは胃の収縮運動。牛乳を飲んで鳴る人は、腸で乳糖という成分を分解出来ないせい。……原因が違うんだから、音の違いは誤魔化せないよ」
「〜〜っ!ご、ごみを捨ててきますねっ」
理詰めにされて答えに窮したつづりは、思わずその場を逃げ出した。
「うぅ〜……逃げて来ちゃった……どうしよう……」
ゴミ箱を抱えたまま、つづりは大きな溜息を吐く。
「それにしても、何で文様はあんな事知ってるの……?」
お腹が鳴る原因なんて、深く考えた事などまるでないつづりにとって、あそこまで詳しく説明されては何も言えない。
一瞬でも誤魔化せると思っただけに、その知識には驚いた。
「何かの本にでも書いてあったのかなぁ……?」
だが問題はそこではなく。
「……ごみ捨ててくるだけだから、すぐにでも部屋に戻らなくちゃダメだよね……。お腹鳴った原因とか聞かれたらどうしよう……」
そう呟いて再び溜息を吐くが、これといって何も思い浮かばず。
つづりは重い足取りで文の部屋に戻った。
「も、戻りました……」
原因を聞かれても困るが、答えに窮したからといって、話の途中にいきなり部屋を出て行った事を咎められる可能性だってある。
その事に自然とつづりはビクビクとしてしまうが。
「……おかえり、つづり」
文はそう言っていつも通りの柔らかな微笑みを浮かべると、何事も無かったかのように、パソコンに向かってしまう。
その事に拍子抜けして、つづりはその場に呆然と立ち尽くしてしまう。
「つづり、どうかしたの?」
「え!?あ、いえ、何でもありません……」
「そう」
そのまま文は、それ以上追求してくる事も無くて。
逆につづりは困惑してしまう。
な、なんで何も言ったり聞いたりしてこないんだろう……?
文様の考えが全然分からない……っ。
これって、私には興味ない、って事なのかな……?
そう考えると、何故だか胸がズキズキと痛んで。
つづりは少し悲しくなってくる。
何も言われなくて。
何も聞かれなくて。
助かったハズなのに。
胸が痛い。
……苦しい。
そんな思いを引き摺ったまま、つづりは掃除を再開した。
お昼近くになって、つづりは文の昼食を取りに行く。
「私の分は……持って行かなくてもいいんだよね……」
ちらりと使用人達が使う食堂の方を見ながら、つづりは厨房へと入る。
「あの、文様のお食事を取りに来ました」
つづりが厨房のコックにそう声を掛けると、それはすぐに用意されて。
だが。
「あ、あの、これは……?」
用意されたものに、つづりは戸惑う。
それもそのハズ、用意された食事は二人分だったのだから。
「何?どうかした?」
「あの、どうして二人分あるんですか?」
「どうしてって、文様がそう指示されたからだけど。何も聞いてないの?」
「いえ……」
訳が分からずに困惑するつづりに、コックが説明する。
「10時頃だったかな。文様から内線電話で直接言われたんだ。“急だけど暫くの間、食事は毎食二人分用意してくれ”って。文様のご友人でも来られるのかと思ったんだけど……違うの?」
そんな事を言われても、つづりは何も聞いていない。
ただ、そんな電話ができたとすれば。
つづりが思わず部屋から逃げ出してしまったあの時しかない。
「あの、もしかしたら文様が私に言い忘れただけかもしれません」
「そっか。文様のご友人ってどんな方かちょっと想像つかないから、密かに気になってたんだけど」
そう言われると確かに、一日中部屋に閉じ篭って、何の仕事をしているのかも分からない文を訪ねて来る友人、というのは想像がつかない。
というより。
こう言っては失礼だが、果たして友人がいるのだろうか?という疑問すら出てきてしまう。
それほどまでに文は他人と距離を置いている節があるのだ。
……つづりはどうやら気に入られているみたいだが。
「あの、ではこれ、持って行きますね」
そう言ってつづりは軽く会釈をすると、厨房を後にした。