その後は概ね良好だった。
 一度先輩達に、食堂で見かけない事を訝しがられたが、つづりは自分の分を持ち出している訳ではないのだし、たまたま食べる時間が擦れ違っているだけなのだと言い逃れる事ができたからだ。
 コックも、二人分の食事を詮索してくる事は無かったし、つづりにとっては一安心だ。


 そうしてつづりが文の担当になって4日目。
 珍しく文の部屋の内線電話が鳴った。
 すぐにつづりが電話を取って応対する。
「はい。……はい……聞いてみます。あの、文様」
「何?」
「関口様と仰る方が、文様を訪ねて来られたそうですが……」
「……分かった。通して」
「はい。……通してもよろしいそうです」
 電話口にそう言って切ると、文は何か難しく考え込むようにしていた。
「あの、文様……?」
「……つづり。暫く、どこかに隠れててもらえる?」
「は…い?あの、お茶の準備などは……」
「いらない。とにかくすぐに、洗面所でいいから、早く」
「えぇ……?」
 眉を顰めたまま、慌てたようにそう言う文に、つづりは何が何だか分からない。
 というか。

 文様のこんな様子、初めて見た……。
 今からお見えになる関口様って、一体どんな方なの……?

 困惑しながらも、言われるままに洗面所へ向かおうとするつづりの耳に、乱暴に部屋のドアが開く音と、続いて明るい男性の声が聞こえてきた。
「よぉ、文!今日も相変わらず引き篭もってるみたいだな!」
 その事に、つづりは思わずドアの方を振り返る。
 そこには、スーツ姿で眼鏡を掛け、だがサラリーマンには似つかわしくない髪型をした男性が立っていた。
「……関口さん。部屋に入る時はノックをして下さい。それにドアはもう少し静かに開けれないんですか」
 不機嫌そうに顔を顰めて文がそう言うが、当の本人は文ではなく、つづりの方に近付いた。
「おや、新入り?見ない顔だね。紅さんはいないのかな?いや、でも君も中々可愛らしいね。俺は関口啓太(せきぐちけいた)。ここの三兄弟とは腐れ縁の関係で、現在彼女募集中。ヨロシク〜」
 次々と早口にそう言って、啓太はつづりの手を両手で握り込んだ。
「は、はぁ……」
 啓太の様子に圧倒されたつづりは、そんな気の抜けた返事しかできない。
 すると、文が啓太の手首を片方掴んだ。
「関口さん。この手を離してもらえますか?用があるのは僕にでしょう」
「なんだよ、つれないなぁ。そうだお嬢さん、お名前は?」
 尚も懲りない様子の啓太に、つづりが自己紹介をする前に、文は彼の手首を掴んでいる手に力を込める。
「イタ、イタタ、痛いって!分かった、離す、離すからっ!」
 そうしてようやくつづりから手を離した啓太は、文をジト目で見る。
「別にちょっとぐらいいいじゃないか……」
 ボソッとそう呟く啓太に対し、文は何かをチラつかせる。
「いらないんですか?コレ。別に僕は困りませんが」
「いるに決まってるだろう。それがないと怒られるだけじゃ済まない」
「だったら取り敢えず、そっちに座って下さい」
 文にそう言われて、啓太はやれやれといった感じで肩を竦めると、大人しくソファに向かった。
 そうして文はつづりに向き直ると、先程までとは打って変わって、優しく微笑んで言う。
「水周りの掃除を念入りにお願いできる?」
 それはつまり、啓太が帰るまで出てくるな、という事だ。
 文がどうしてそうするのかは分からなかったが、つづりはそれに従うのみ。
「分かりました」
 そうしてつづりは洗面所に行くと、時間を掛けて隅々まで掃除する事にした。

 つづりを見送って、啓太に向き直った文の表情はやはり不機嫌そのもので。
「さっさと用事済ませて帰って下さい」
 そう言って手に持っていたあるモノを、啓太に投げて寄越した。
「おいおい、中身が消えたらどうするんだ」
 文が投げたモノ――それはUSBメモリで。
「バックアップは別にありますから」
 その冷ややかな文の態度に、啓太は肩を竦める。
「そんなにさっきの彼女が大事?」
「使用人を守るのは主の務めでしょう」
「今のは違うだろ」
「手当たり次第ウチのメイド達を口説いてるのはどこの誰ですか」
 そう言う文の鋭い視線に、啓太は視線を逸らす。
「……んじゃ、ちょっと中身を確認させてもらうかな」
 そうして啓太は自分の荷物の中から小型のノートパソコンを取り出すと、それに繋いで中身を確認し始めた。


「ふぅ……こんなものかな」
 普段はやらないような所まで徹底的に掃除して。
 綺麗になった洗面所や浴室を見て、つづりは満足そうに息を吐いた。
「……話は、もう終わったのかな……」
 話が終わっていればいいが、終わっていなければ、出て行く事ができない。
 けれど、耳を澄ましてみても部屋の様子は分からなくて。
 つづりはドアを少しだけ開けて、様子を伺う事にする。

 隙間からそっと覗くと、文はムスッとした顔でソファに座って、腕と足を組んでいる。
 その様子から、啓太はまだ帰っていない事が用意に伺えた。
「……でも、何してるの……?」
 話し声は全く聞こえない。
 けれど空気はピリピリとしていて。
 つづりは文の対面に座っているハズの啓太の様子を見ようとする。
 けれど、どうしてもドアの死角になって、その様子は見えなかった。
「……これじゃあ、いつ出て行けばいいんだろう」
 どうすればいいのか困ったつづりは、そう呟いてそっと溜息を吐いた。