暫くそのまま、つづりはどうしようか悩んでいて。
少し気を抜いたその瞬間、突然声を上げた啓太に、つづりは思わずビクッとしてしまう。
「うん。確かに」
「なら帰って下さい」
「つれないねぇ。俺とお前の仲じゃないの」
「親しくなった覚えはありません」
「ひっでーなぁ。彩君に言うぞー?」
「どうぞご自由に」
「へー。本当に言っていいのか?彼女の事」
彼女。
その言葉に、つづりは少しだけ胸の痛みを覚えた。
「文様……彼女がいらっしゃるんだ……」
けれど、つづりはそんな話は聞いた事がない。
勤めて日が浅いのだから、知らなくても仕方ないかもしれないけれど。
彼女がいるのにずっと部屋にいる、というのもおかしな話で。
「……あ、もしかして、お相手の方は海外にいて、遠距離恋愛中、とか?」
そう考えると、納得もいく。
そんな事を考えていると、文の声が聞こえてきた。
「……関口さん。なんなら、出入り禁止にしましょうか?」
「それだとお前も困るだろ」
「困らないですよ。バイク便使えばいいだけですから」
「ぐ……そう来たか」
「では早々にお引き取り下さい」
文の言葉に、啓太がソファから立ち上がった気配がする。
けれどその直後、文の鋭い声が飛んだ。
「そっちは出口じゃないんですが」
「いやぁ、帰る前にもう一度挨拶しとこうかと」
その言葉につづりは慌てる。
もしかして関口様、こっちに来るの!?
ど、どうしよう。
今ドア閉めたら、会話聞いてた事、バレちゃうよね?
ドキドキしながら冷や汗をかいていると、どうやら文が行動で啓太を制したらしい。
「関口さんが挨拶する必要はありません」
「じゃあ名前だけでも教えてよ。じゃなきゃ彩君に言えな……あ、しまった」
啓太の言葉に、つづりは心臓が大きく跳ねる。
……今の、どういう意味……?
だって、文様の“彼女”の事を、彩様に言うって話だったハズ、だよね……?
そこでどうして。
私の名前が出てくるの……?
先程までとは違うドキドキに、つづりは期待しそうになる自分を必死で抑える。
そう、そうだ。
きっと関口様は、何か勘違いしてるだけ。
紅さんじゃなくて、私が部屋にいたからとか。
じゃなきゃ、さっき言ってた“彼女”っていうのが私の勘違いで。
恋人としての“彼女”じゃなくて。
女性を指す意味での“彼女”だったんだ。
だって、関口様はまだ私の名前を知らない訳だし。
「つづり?」
「っはいっ!?」
自分の考えに没頭していたつづりは、急に声を掛けられて、心臓が止まるかと思う程驚いた。
目の前には、他でもない文がいて、クスクスと笑っている。
「どうしたの?……こんな所で、考え事?」
「え……あ……っ」
そう聞かれたつづりは、一気に頬を染め。
どうしようかと視線を彷徨わせる。
すると、室内に啓太の姿がない事に気が付いた。
「あの、関口様は……?」
「……あの人に様は付けなくていいよ」
「は、はい」
途端にムッとした表情になる文に、つづりは思わず俯きながら返事をする。
「関口さんならもう帰った」
「そう、ですか」
どうやら、そんな事にも気付かない程、自分の考えに集中していたらしい。
そう思ってつづりは、知らず口を曲げた。
「……ねぇ、つづり」
「……はい」
「関口さんと、話、したかった……?」
「……は、い?」
急にそんな事を聞かれて、つづりは思わず顔を上げて困惑する。
「……つづりが、そうしたいなら……まだ、今なら玄関付近で、関口さんの事、呼び戻せると思うし……」
そう言う文の表情は。
何故だかとても、傷付いたような、何かを堪えるようなもので。
つづりは胸が締め付けられて、思わず文の手を取った。
「文様、そんな辛そうな表情、なさらないで下さい……」
「つづり……」
「文様は、微笑んでいらっしゃる方が素敵です」
「……うん」
けれど、文の微笑みはいつものそれと違って、どこか哀しげな微笑みで。
つづりはどうしたらいいか分からない。
すると文はつづりからすっと手を離すと、内線を掛ける為に、受話器の方へ行く。
「……早くしないと、関口さん、帰っちゃうから……」
呟くようにそう言う声すらも、哀しみを帯びていて。
つづりは半ば叫ぶように言う。
「ひ、必要ありませんっ!」
その言葉に、文は驚いたようにバッと振り返った。
「わ、私には話すような事もありませんし、何より、哀しそうな文様を放って別の方とお話なんてできませんっ」
つづりは必死にそう言うと、文に縋るような視線を向けた。