次の日。
 つづりは朝から何となくそわそわして、落ち着かなかった。
 それもこれも、文への気持ちを自覚したせいだ。
 文の顔を見るだけで、顔は自然に赤らむし。
 声を掛けられるだけで、何故だか泣きたいような気持ちになって、どうしたらいいか分からなくなる。
 しかも自分は雇われの身。とても許される事ではないだろう。
 だから、文にはこの想いを欠片程も気付かれてはならない。
 そんなある種、強迫観念にも似たような思いに囚われて。

 うぅ……どうしよう。
 文様の顔、まともに見れないよ……。

 そんな状態だから、つづりは朝食の時も昼食の時も自然と、視線はずっと下を向いてしまっていて。
 それがどれだけ不自然な事なのか、つづりには全く気付く余裕も無かった。


 このまま何事もなく、一日が過ぎればいい。
 つづりがそう思った所で、その通りになるハズもなく。
 一通りの仕事を終えた所で、文が心配そうに声を掛けてきた。
「つづり……何かあった?」
「っ……な、何も……」
「……僕は、何かつづりに嫌われるような事、した……?」
「そっ……んな事、は、ないです……」
 文の言葉に思わず顔を上げるが、彼の顔を見た途端、つづりはすぐにまた俯いてしまう。
「……具合が悪いとかは、ない?」
 そう言って、文はつづりの頬にそっと触れる。
 その事につづりは思わず固まってしまって。
 何も言えないつづりに、何を思ったのか、文はとんでもない行動に出た。
「んー……熱はない、みたいだけど」
「っ!?」
 あろう事か文は、つづりの額と自分の額をくっ付けて、熱を測ったのだ。

 あまりにも近過ぎる顔の距離と。
 すぐ傍に感じる吐息。
 その状況につづりの心臓は早鐘のように打ち。
 顔だけでなく、全身から火が出そうな程、体が熱い。
 思考は先程から殆ど停止状態で。
 泣きたいような、叫びだしたいような、訳の分からない衝動が体を駆け巡って。

「つづり?」
 自分を呼ぶ文の声に、ハッと我に返れば、心配そうな表情で顔を覗き込まれていて。
「やっぱり、少し体調が良くないみたいだね」
「い、いえ、そんな事は……」
「でも、顔が凄く赤い」
「っ」
「無理、しないで」
 そう言うと文は、つづりの手を引いて。
 ソファに並んで座ると、つづりの肩をグッと引いた。
「……暫く、こうして横になってた方がいい」
 文のその声は、何故か上から聞こえてきて。
 つづりは一瞬遅れて気付いた。

 これ、って……。
 膝枕……?

 そう認識した途端、つづりは文の膝から頭を降ろそうとする。
「だ、大丈夫です!体調なんて、全然悪くないですっ」
 いくら何でも、主に膝枕をさせる使用人がいていいハズがない。
 だが、文に肩を押さえられて、せいぜい頭を少し浮かせて振るぐらいしか抵抗できない。
「暴れないで」
「で、でも……っ!」
「つづり。いい子だから、大人しくしてて」
 優しい口調で、窘めるようにそう言われて、つづりは仕方なく大人しくする。

 うぅ……。
 こんなの落ち着かないよ。
 心臓、破裂しそう……っ。

 心の中でそう思いながら、つづりはギュッと目を閉じる。
 すると、ふわふわと頭に何かが触れている感触がした。
 それはすぐに文の手だと分かった。
 肩を押さえているのとは逆の手で、優しく頭を撫でてくれている。

 あ……何だか、気持ちいい……。
 文様の手、優しいな……。

 頭を撫でられて、つづりは何だか穏やかな気持ちになって。
 いつの間にか、ただ荒れ狂うだけだった心臓も、心地の良いドキドキに変わっていて。
 できるなら、このまま。
 ずっとこうしてたい。
 そんな事を、考えてしまう。

「……つづりの髪は柔らかいね。それにサラサラしてる」
「そうですか?でも、少しクセっ毛なんです」
「そうなの?」
「はい。少しでもあとが付くと中々直らないんです」
「じゃあ、例えば三つ編みにしたら簡単にウェーブが付くの?」
「軽く、ですけど」
「そうなんだ。僕は少し猫っ毛かな……髪は柔らかいけど、真っ直ぐじゃないし、あとも付かないから」
 そんな取り留めのない話をしながら、つづりは誰にともなく願う。

 文様の、柔らかな声。
 優しい手。
 穏やかな時間。
 私は文様の恋人でもなんでもないけれど。
 今、この一瞬だけは。
 この恋心を、許して下さい。