文と顔合わせをする前に、つづりは紅から簡単に注意事項の説明を受ける。
「まずお部屋の掃除だけど、文様の許可がない限り、本棚には絶対に触れない事」
「本棚、ですか?」
「そう。この屋敷の一部屋一部屋が広い事は貴女ももう分かっているでしょうけど」
紅の言う通り、祭雅家の屋敷は部屋数こそ少なめだが、一室だけで30畳程の広さがある。
そうして祭雅家の面々の部屋や客室には、簡単な浴室や洗面所、お手洗いが完備していて。
初めてそれを見た時は、まるでホテルのようだと思ってしまったくらいだ。
「文様のお部屋の半分は本棚だと思ってくれて構わないわ」
「半分、ですか……」
だがつづりは、いくらなんでもそれは大袈裟じゃないかと思う。
書店や図書館じゃあるまいし、せいぜい部屋の壁にずらっと本棚が並んでいるくらいだろう。
「だから基本的には床掃除ね。文様のお部屋はカーペットを敷かずに石床のままだから、モップで掃くか乾拭きでいいわ」
祭雅家の屋敷の洋風部分の床は石材でできている。
だから基本的には掃除機で埃を取り、汚れの目立つ部分は固く絞った雑巾で水拭きをしてからきちんと乾拭きをして。
最後に石材用のワックスをかけるのが通常だ。
「間違っても掃除機を使っては駄目よ。音がうるさいから。文様は静かな空間を好む方なの。ワックスは日常的に必要としてないからいいわ」
「は、はい」
「掃除に関してはそれくらいね。あと、部屋のカーテンも開けない事」
「カーテンを?」
「ええ。文様のお部屋は日常的にカーテンが閉まっているのよ。本当はお体の為にも日光を浴びるのが好ましいのだけれど……」
「そう、ですね……」
「それから、部屋の中は肌寒いと思うけど、お部屋の設定温度も変えては駄目よ」
「はい……」
一体、文はどんな環境で過ごしているのだろうか。
話を聞く限りでは、相当偏屈な人間のようだ。
「お食事は部屋で取られるわ。朝食は起床後。昼食は12時。夕食は19時と決まっているから」
「はい」
つづりは心の中で時間を確認しつつ返事をする。
「食事時はお傍に控えて給仕をする事」
「あ、あの。私、給仕なんてした事……」
つづりが恐る恐るそう言うと、紅は優しく微笑みながら言う。
「大丈夫よ。……そうね、喫茶店を思い浮かべてもらえばいいかしら?要はウェイターやウェイトレスと一緒よ。空いたお皿を下げ
たり、お水のお替りを注いだり……そのくらいならできるでしょう?」
「は、はい。それなら……」
何か難しい事を要求されるのではないかと思っていたつづりは、その内容に安堵の息を漏らす。
「貴女の食事時間だけれど、朝は文様を起こす前。昼と夜は、文様のお食事が終わってからになるわ」
「分かりました」
「文様が特に用事がないと言われた時は下がっていいわ。その時は通常の仕事をすればいいから」
そうしてつづりは、ある機械と一枚の紙を渡された。
「こっちはワイヤレスコール。これが振動したら、文様が何か用事があるって事だからちゃんと持っててね。こっちは仕事内容を細かく書いたものだから、昼食時にでも
目を通しておいてね」
「はい」
「説明は以上よ。何か質問はある?」
「い、いいえ」
「それじゃあ文様のお部屋に行きましょうか」
紅にそう言われて、つづりは改めて緊張してきた。
文の部屋に来ると、紅はドアをノックし、中に声を掛ける。
「紅です。文様、今よろしいでしょうか?」
「……どうぞ」
かろうじて中から声が聞こえ、紅はドアを開ける。
「失礼致します、文様」
部屋の中に一歩入った所でお辞儀をする紅に習い、つづりも慌てて頭を下げる。
「し、失礼致します……」
だが、文からの反応は何もない。
「文様。こちらが今日から一週間、私の代わりに文様のお世話係を致します、本橋さんです」
「も、本橋つづりです。よろしくお願い致します……」
緊張の為、つづりはどうしても声が小さくなってしまう。
だが、文は全く興味がなさそうで。
「……そう」
一言だけそう言った。
「では、申し訳ありませんが、私はこれで失礼させて頂きます。……じゃあお願いね、本橋さん」
文に頭を下げながら言った後で、紅は小声でつづりにそう言った。
そうして紅が部屋を出て行くと、部屋の中は一気に沈黙が訪れた。