「……ふぅ……」
 パタンと本を閉じ、つづりは満足げに息を吐く。

 やっぱり、何度読んでも面白い。
 物語の先は全部分かってるのに、それでも毎回引き込まれちゃって。
 章さんって、本当に凄い小説家だなぁ……。

 つづりがそう思っていると、不意に横からフフッと笑う声が聞こえた。
 その事に、つづりはいま自分がどこにいるのかを思い出して固まる。
 そうしてつづりは、そろりと首だけ動かして文の方を見た。
「……面白かった?」
 柔らかく微笑みながらそう聞かれ、つづりは顔を真っ赤にして俯いた。

 何やってんの、私!
 本に夢中になって、すっかり文様の存在を忘れちゃうなんて〜〜〜っ!
 バカバカバカっ!
 私の大馬鹿者っ!

 反省しながらつづりは自分の失態が恥ずかしく、泣きたくなっていた。
 だが。
「本当に、好きなんだね……」
「……え?」
「本、読んでる時のつづり……ずっと百面相してた……」
「え……み、見てたんですか?ずっと?」
「うん」
「〜〜〜〜〜っ!」
 文の言葉に、つづりは更に真っ赤に頬を染める。
 部屋の中は冷房が効き過ぎてるハズなのに、逆に暑いと感じる程。
 しかも文は優しく微笑んでいるから、それがつづりには、何だか余計に恥ずかしく感じる。
 そうして居た堪れなくなったつづりは、勢い良くソファから立ち上がる。
「そ、そろそろっ、ゆ、夕食の時間なのでっ!私、取ってきますねっ!?」
 つづりは当然、文の顔など恥ずかしくて直視できず。
 ギクシャクと体を動かしながら、視線は明後日の方を向けて、本を本棚にきちんと返してから、退室の挨拶もそこそこに慌てて部屋を出る。
 そんなつづりの様子に、一人部屋に残された文は、苦笑を顔に滲ませて。
「……残念」
 そう呟いた。


 屋敷内の廊下を厨房に向かって歩きながら、つづりは自分を落ち着かせようと深呼吸をする。
「すぅー……はぁー……すぅー……はぁー……」
 何度かそれを繰り返していると、大分落ち着いてきたようで。
 まだ少し頬に火照りは残る気がするが、それでも何とか冷静に物事を考えられるようになっていた。
「……ダメだな、私。さっき、文様にかなり無礼な態度取っちゃったよね?ご機嫌を損ねてないといいんだけど……」

 それにしても、とつづりは思う。
 文様はやはりどこか掴み所がないように思える。
 気難しい方だと聞いていたのに、実際にはそんな事なくて。
 どちらかというと、気まぐれ、という表現の方がしっくりくる。
 大体、百面相をしていたからといって、ずっと見てたっていうのもどうなんだろうか?
 しかも自分が本を読んでいた数時間の間、ずっと。
 途中で声を掛けるなりしてくれればよかったのに。

 そこまで考えて、つづりはハッとする。
「……これじゃあただの八つ当たりよね」
 そう呟きながら溜息を吐いて反省する。

 もしかしたら声を掛けなかったのは、百面相が面白かったからではなく。
 本の世界に入り込んでいる自分を気遣っての事だったのかもしれない。
 途中で水を差すような真似をしたくなかったから。
 何よりあの眼差しは、人を馬鹿にしたり、面白がったりするような類ではなく。
 例えばそう、楽しんでいる子供や家族を優しく見守るような。
 そんな温かい感じ。

「そういえば、確か三男の明様はまだ大学生。その姿を私に重ねられたのかも……」
 もしも文様が妹のように感じていたとするならば。
 そんなに悪い気はしない。
 というより、自分にはむしろ勿体無いと感じる程だ。

 そんな事をつらつらと考えながら歩いていると、いつの間にか厨房の前で。
 危うく通り過ぎてしまう所だった。


 時間にはまだ少々早かったらしく、厨房では夕食の支度の真っ最中だった。
 それでももう少しでできるという事で、つづりは隅の方で待たせてもらう事にした。

 やがて夕食が出来上がり、出来立てのそれを運ぶ為にワゴンに乗せていく。
 すると、昼につづりを脅してきたコックがまた声を掛けてきた。
「お昼は大丈夫だった?」
「あ、はい。特に何も言われませんでしたけど……」
「そうなの?」
「やっぱり、一番初めだったから大目に見てもらえたんでしょうか……?」
「うーん。でも何も言われてないっていうのも、珍しいと思うけど……」
 コックはそう言うが、少なくとも文は昼食が遅れた事に対して、全くと言っていいほど、気にしていないように思えた。
 でなければその後に、本棚の中から好きな本を選んで読んでいい、なんて発言が出てくる訳がないだろう。

「ま、今後は気を付けた方がいいよ」
「はい、ありがとうございます」
 心配してそう言ってくれるコックに対し、つづりはお礼を言うと、夕食を待っているであろう文の元へと急いだ。