明の真剣な眼差しに、茅はフッと微笑んで言う。
「……いいわ。但し期限に間に合わなかったら、この間出した物を使うから、そのつもりでいて頂戴」
その言葉に、明はパッと顔を輝かせる。
「ありがとう、茅姉!」
そう言ってバタバタと社長室を出て行く明を見送って、茅は呟く。
「イイ顔しちゃって。何があったのかしらね……」
けれどそれは明にとっては良い変化だ。
だから茅は、今は敢えて追求しない事に決めた。
それからの明は、前よりも真面目に仕事に向き合うようになった。
別に、今まで手を抜いていた訳ではない。
ただ、与えられた歌を、上手にそれらしく歌うのではなく。
歌に込められた意味や、想いを考えて。
それを自分なりに、一人でも多くの人に伝えられるように、一回一回、気持ちを込めて丁寧に歌うようになったのだ。
そんな事を続けていると、分かる人には分かるのだろう。
徐々にRAIKAに対する評価が、以前とは変わっていった。
「最近、評判良いわよライカ」
「本当?」
「ええ、ファンも増えてるみたいだし、歌に深みが出てきたって」
「そっか……」
その事に、明は嬉しくなる。
アイドルはどちらかというと、顔が良ければ歌はそれなりでも構わない、という傾向がある。
最初の内は見た目だけで人気が出るし、人気さえあれば、視聴率を稼げる。
そうなると当然、CMのオファーやドラマでもいい役が貰えるからだ。
実力は後から付ければいい。
その点、RAIKAは顔だけではなく、最初から歌も他の歌手と比べて遜色ない程だった。
だからドラマに出なくても歌メインでやってこれたのだ。
けれど、いまいち何か足りない。そろそろ伸び悩み始めるんじゃないか。
業界では今までそんな評価をされていた。
それが変わってきているのだ。
「これからもこの調子でね。それと……歌詞の方、そろそろ期限だけど大丈夫なの?」
「ぅ……ギリギリまで待ってもらえると助かります……」
そう言いながら、明は思うような歌詞が未だに出来ていない事に、言葉を詰まらせる。
伝えたい気持ちはあるのに、それが形になって、言葉として出てこない。
今まではそれなりに言葉を並べて、形にしていただけに、本気で自分の気持ちや想いを伝える手段として考えると、言葉が中々出てこない。
改めて、表現する事の難しさを、今更ながらに痛感していて。
自分の語彙の少なさに、打ちひしがれていた。
けれど、期限は待ってくれない。
どうにも行き詰った明は、小説家の兄・文に助言を求める事にした。
久し振りに家に帰ったというのに、明は真っ先に文の部屋のドアをノックしていた。
「文兄〜。今ちょっといい?」
すると中から返事の代わりにドアが開いて。
「ど、どうぞ」
随分可愛らしい子がそう言って中へ促してくれた。
「……誰?」
視線の先にいる文にそう問うものの、その質問は無視されて。
「つづり。紅茶を、淹れてくれる?」
「は、はい」
そのやり取りを呆気に取られて見ていると、怪訝そうな顔をされた。
「話があるんじゃないの……?」
「あ、うん……」
取り敢えず明は文の正面のソファに座るものの、見知らぬメイドの女の子の事が気になって仕方がない。
相変わらず寒い部屋だな、とかぼんやり思いながら、ついついその動作を目で追っていると。
「明。つづりは僕の、だから」
文に、少しムッとした表情で言われてしまった。
一瞬、聞き間違いかと思ったその言動に、またも明が呆然としていると、目の前に紅茶がスッと置かれて。
「……どうぞ」
「あ、ああ、どうも」
我に返ってそう言うと、彼女は文の前にも紅茶を置いて。
その文の口から、明はまたも信じられない言葉を聞いた。
「じゃあ……つづりは、本棚の掃除の続きでも、してて?」
「はい」
そのやり取りに、明は頭を抱えたくなる。
文兄が。
あの、文兄が!
他人に自分の本棚の掃除をお願いしてる!?
紅さんにも殆ど触らせようとしなかったのに!
僕が小説とか借りに来ると、絶対に石鹸で手を洗わせてからじゃないと貸してくれなかったのに!(しかも読む時は絶対に物を食べちゃダメとかあれこれ細かく言われた)
本当にあの子、何者!?
「で、何の用?」
「その前に、あの子誰」
「僕の専属。で、用件は?」
あっさりと一言で片付けられて、紹介もナシかよ!とか突っ込みたかったが、ここへ来た当初の目的を思い出して、文の機嫌を損ねるのも良くないと思い直す。
「……アドバイスを、貰いたくて」
「アドバイス?」
「今、最新アルバムに収録する予定の歌詞を書いてるんだけど……思うように書けなくて」
「……僕は小説家であって、詩集作家じゃないんだけど」
いくら物書きとはいえ、ジャンルが違えば的確なアドバイスは出来ない。
言外にそう言う文に、明は困ったように言う。
「や、まぁ、そうなんだけどさ……」
「それなら、関口さんに頼んで、詩集作家を紹介してもらう方が早い」
文の指摘に、成程そういうのもアリか、と思う。
出版社に勤めている関口さんなら、人脈も広そうだ。
それでも、やっぱり文兄の意見も聞いておきたい。
「一応、文兄の意見も聞かせて貰っていい?」
「明がそれでいいなら」
文のその言葉に、明はホッとして話し始めた。