≪Side:NAOKI≫

 生田咲。
 多分、今年の新入生の中で一番最初に覚えたであろう名前。
 理由としては、自分が受け持つクラスの出席番号一番だからというのと、咲という字を『さき』ではなく『さく』と、変わった読み方の名前だったから。
 それがまさか、自分の実家で会う事になるとは思わなかった。


 俺の親は、子供が独り暮らしを始めても部屋はそのままにしておくタイプ。いつ帰って来てもいいようにとの事らしい。
 だが昨年の秋頃姉が結婚し、逆に帰って来られたら迷惑だからと部屋を片付け、一部屋空いてしまった。
 その部屋を使って下宿でも募集しようかしら?とは言っていた。
 その時は冗談だと思っていたのだが、どうやら本気だったらしく、ある時電話で『今度女の子が一人、下宿してくれる事になったの〜♪』と嬉しそうに言うのを聞いた時は、流石に驚きを通り越して呆れた。
 『可愛い子だから一度逢いに帰って来なさいよ〜』と言われたが、新学期が始まるこの時期は何かと忙しい。


 何週間か経って、ようやく新しい環境に馴染んだ頃。
 そう言えば帰って来いだの何だの煩かったな、とか思い出して、気紛れに帰ってみた。
 丁度実家に置きっ放しになっている本を何冊か持ち帰りたかったし。
 そう思っていざ実家に帰ってみると、思いも寄らなかった人物に廊下でバッタリと会った。

「生田!?」
「早坂センセ!?」

 一瞬、下宿がどうのとかいう話も忘れて、状況を把握しようと口を開きかけると、彼女は手で俺を制して、眼を閉じ、深くゆっくりと息を吐く。
 そうして自分を落ち着かせると、不思議そうに言った。
「何で先生がここにいるんでしょうか?」
「……それはこっちのセリフだ生田……」

 担任教師を目の前にしてマイペースなのはいい度胸だな。
 そうは思ったが逆に呆れて溜息が出た。


「……いいか?俺とお前は会ったばかりの一切何の関係もない赤の他人だ。間違っても学校の時みたく『先生』なんて呼ぶなよ」

 状況を確認した俺は、取り敢えずそう口止めをしておく。
 もしあの母親に担任だとバレたら、何を言われるか分かったもんじゃない。
 それどころかあの母親の事だから、学校での俺の普段の様子や、先生としてちゃんとやっているのかとかを根掘り葉掘り聞くだろう。
 俺はもう高校生のガキじゃねぇっつーの。


 それから暫くして帰って来た母親と生田との三人で話をしていた時。
 ふとした時に隣で生田が笑ったのに気が付いた。
 それが俺と母親が話している時だったので、自分が笑われたというのが分かって少しムッとした。
 俺、何か笑われるような事言ったか?
 ……それともまさか、この母親から事前に何かを聞いていてそれで……?

「……どうかした咲ちゃん?」
 そう思うと気が気じゃなく、わざと名前で読んで何故笑ったか言うように無言で責める。
 だが彼女は答えなくて。
 フン。まぁいいさ。
 それならそれで考えはある。
 そう思っていたら、やっぱり母親は俺が教師という事を持ち出してきて。
 この時は、口止めしておいて良かったと内心思った。

 そうして話の流れで、何故笑ったのか聞くチャンスを得る為に、雑用係の話をチラつかせて、無言の圧力でOKを出させて。
 帰る時になって、散々会話の中で『咲ちゃん』と呼んでいたので、今更生田と呼ぶのも何かアレだし、だからと言ってちゃん付けも変だと思って、咲と呼び捨てにする事に決定した。