「なぁ、何で?」
「あの、その……な、何でもない、です」
 しどろもどろにそう言うと、直樹は途端にムスッとした表情になる。
 しかしその直後。
 何かを思い付いたのか、口の端を上げニヤリとする。
 その笑顔に何かよからぬ物を感じ、咲は慌てて立ち上がり、帰ろうとした。
「あのっ紅茶ありがとうございました!では私はこれで失礼しますっ」
 クルリと回れ右をして扉へと向かう。
 だが、そこで背を向けたのがまずかった。
 後ろから両肩を掴まれ、その場に足止めされてしまったのだから。
「なぁ、教えろよ」
「……っ!」
 耳元でそう囁かれ、背筋がぞくっと粟立つ。

 ヤバイ。
 今絶対顔赤い。
 先生の声、何だか凄く色っぽくて……頭の中に甘く響く感じ。

 思わず咲はギュッと目を瞑る。
 すると、頭上から楽しそうな直樹の声が降ってきた。
「何?お前耳弱いの?……それともお子様には刺激が強すぎたか?」
「ち、が……」
 声が掠れて上手く喋れない。
 いつもの“先生”じゃない、大人の男の人の少し低めの甘い声。
「言えよ、咲。笑った理由」
 その声に追い詰められて、咲は仕方なく話す事にした。
「……だって、あの時の先生の反応が……子供みたいって思ったから……ごめんなさい……」

 怒られる、と思った。

「何だ。そんな事か」
 だが怒る、と言うよりはむしろ、呆れた、という感じで。
「……は?」
「それならそうと早く言え。俺はまたてっきり、お袋に事前に何か色々と吹き込まれてたのかと……」
「怒らないん、ですか……?」
 直樹の反応に、咲は思わずそう聞く。
「何で?親の前でそういう反応するのは普通だろ。癖みたいなもんだ」
 平然とそう言う直樹に、そういうものなのかなーとか思いつつ、ふとある疑問が思い浮かぶ。

 んん?
 待てよ?
 それってつまり。
 あの時正直に言ってれば、この居残り雑用をやる必要は無かったって事!?