「……ここで春斗が育ったんだ……」
 しみじみと部屋を眺め回す清良に、春斗は何だか照れ臭くなる。
『そんなに眺めても、何もありませんよ』
「そうか?でもアタシこの部屋の雰囲気、何か好きだな」

 きちんと整理整頓された室内。
 どこか懐かしさを感じさせる匂い。
 ここだけ、時を止めているかのような空間。

『この部屋は、僕がココを出てからずっと変わってないです。時々、掃除はしてくれてるみたいですが』
 確かに埃が積もっているという感じではない。
 だからといって、誰かが最近使った形跡もないが。
「はー……何か、春斗って実はかなりのお坊ちゃんだったんだな」
『実家が旅館ってだけですよ』
「それだけで凄いって。何てーの?もしかしたら今頃ここで若旦那やってたかもしれないんだろ?」
『若旦那、ですか?まぁ、確かに古くからここで働いてもらっている方には、若、と呼ばれていましたが』
「マジで?それも凄いな、若」
 清良がからかうように“若”と呼ぶと、春斗はしかめっ面をする。
『止めて下さいよ』
「えー?いいじゃん。な、若」
 なおもそう呼ぶと春斗はムッとし、だが直後、悪戯を思いついたような表情をする。
「どうし……っ!?」
 春斗の表情に訝しげに清良が聞こうとすると、彼はキスをしてきた。
「い、いきなり何するんだ、春斗っ!」
 突然の事に清良が真っ赤になって抗議すると、春斗は笑顔になる。
『僕の事はちゃんと、そうやって名前で呼んで下さい』
「……バカ」
 名前で呼んで欲しいならちゃんとそう伝えればいいのに、わざわざキスをしてくる辺り、そうとう“若”と呼ばれたのが嫌だったらしい。
 そう思って清良は内心、もう絶対に“若”って呼ぶのはやめよう、と思った。


 暫くその部屋の中をうろうろして、置いてあるモノに対する色々な思い出を聞いたりしていると、春斗は突然思い立ったように何かを探し始めた。
「春斗?何探してんの?」
 清良がそう聞くと、春斗は振り向いてニッコリと微笑むだけで、説明をしなかった。
 そうして少しして春斗が見つけたものを清良に差し出す。
 それは古いカセットレコーダーで、録音機能の付いている代物だった。
 当然中にはカセットテープが入っていて。
「これ……?何、なんかの曲でも入ってんのか?」
 そう言いながら再生ボタンを押すと、聞こえてきたのは曲などではなく。
 男性の声だった。

「“えっと……何話せばいいのかな……取り敢えず、自己紹介?……えー、朝霞春斗、二十歳です。……って何か改めて言うのも変かな、ははっ”」

「春斗、コレ……!」
 清良がそう口を開きかけると、春斗は唇の前に人差し指を立てる。
 黙って聞いて欲しい、という事だろう。

「“もうすぐ喉の手術です。声帯の一部を切り取るらしいけど、ちゃんと声は出るようです。でも、元の声が出る保証もないので、今の内に元の声を録音しておこうと 思って……もう少し症状が進んでたら、声帯を全部摘出しなければならなかったみたいです。その時は喉に穴を開けなくちゃいけなかったらしくて、ちょっと安心?かな。 喘鳴の症状が出た時に病院行ってよかったーって感じ”」

 その内容に、清良は疑問に思った。
 確かに春斗の喉には穴は空いてない。
 だけど、春斗が喋れないのも事実だ。
 レコーダーからは引き続き春斗の録音した声が聞こえてくる。

「“……人によっては、手術後のかすれ声とかが酷い人もいるらしいです。声帯が一部残ってても、全身麻酔の影響とかで神経麻痺が起こる場合もあるから……もし そうなったら、手話か筆談かなぁ”」

「春斗……もしかして」
 清良がそう聞くと、春斗は頷いた。
 話はまだ続く。

「“将来、好きな人ができた時に声が出なかったらプロポーズもできないな……なんて、今から弱気じゃダメだよね。でも……一言だけ、残しておきます。もし僕がこれを 聞かせたいと思える人ができた時の為に”」

 次の瞬間、レコーダーから聞こえてきた言葉に、清良は目を瞠った。

「“えっと……大好きです。……ってうわー、マジで恥ずかしいしっ!”」

 思わず春斗を見ると、いつの間にか背を向けた彼の耳が、真っ赤に染まっているのが分かった。

「“この辺で、録音を終わろうと思います。っていうか、今更ながらに恥ずかしくなってきました。……終わりです”」

 その言葉を最後に、後はもう何も聞こえなくなった。
「なぁ、春斗。この言葉を、アタシに聞かせたかったのか……?」
 そう聞くと、背を向けたまま春斗は頷いた。
「スゲー嬉しいよ……。春斗の声、こんなだったんだな」
 何だか泣きそうな声で清良がそう言うと、春斗は背を向けたままメモを見せてきた。
『自分でコレ聞くと、何だか自分の声じゃない気がするんですけどね』
「でも……これ録音したのは春斗だろ?だったらちゃんと春斗の声だよ。アタシは、春斗がどんな声だったか知れて嬉しい」

 本当に嬉しそうにそう言って笑顔になる清良に、春斗も笑みを浮べた。