旅館へ戻ると、女将が真っ先に春斗に駆け寄った。
「春斗!戻ってきてくれたのね……良かった。さ、中に入って」
そうして清良を押し退けるように二人の間に入ると、春斗を中へ促そうとする。
だが春斗は、その場から動こうとしないかった。
「春斗?ど、どうしたの?」
『清良さんも一緒でないと、僕は戻りません』
頑なな態度の春斗に、女将は苦虫を噛み潰したような表情をする。
「どうしてなの、春斗。こんな人、貴方には相応しくないわ」
その言葉に再び踵を返そうとする春斗を、清良は呼び止める。
「春斗」
清良の咎めるような表情を目にして、春斗は溜息を吐いた。
『本当は戻ってくるつもりはなかったんですけどね。だってそうでしょう?散々大事な人を侮辱されたんですから』
その言葉に、女将は眉を顰める。
『戻ってきたのは、清良さんに言われたからですよ。親子が喧嘩別れするのはダメだって』
春斗がチラと清良をみると、それにつられて女将も清良を見る。
だがその視線は睨み付けるようなもので。
思わず清良はムスッとする。
『後は母さん次第です』
突き付けられた言葉に、女将は暫く考え込むと、視線を逸らしながら溜息を吐いて言った。
「……今日の所は目を瞑りましょう。だけど、貴女を歓迎した訳ではありませんからね」
その言葉に春斗はホッとしたような表情になり、清良は苦笑いした。
再び春斗の部屋に行って、荷物を置く。
「今日はこの部屋に泊まるのか?」
『客室の方が良かったですか?』
「んー……別にどこでもいいけど……春斗の過ごしたこの部屋の方が落ち着けるかもな」
『そう言っていただけると嬉しいです。さ、出掛けましょうか。この辺を案内しますよ』
「春斗の生まれ育った場所か……楽しみだな」
ニッと笑う清良に春斗も笑みを向けると、二人で部屋を出た。
そうしてロビーまで行った所で、春斗の名を呼ぶ者がいた。
「春斗っ!」
その声の主は、春斗に体当たりするように抱き付いて。
よく見るとそれは、春斗の従妹の華蓮で。
「帰ってきてたのね。そうだ、こっちに来てゆっくりお話しましょうよ。その方がおば様も喜ばれるわ」
華蓮は春斗の腕を掴み、旅館の奥へと強引に引っ張っていこうとする。
その手をやんわりと押さえ、春斗は華蓮の手から逃れると、手話で何かを話した。
すると華蓮はそこで初めて清良に気付いたのか、途端に嫌そうな表情をした。
「……貴女、まだ私の春斗の傍をうろついているの?いい加減身を引きなさいよ。春斗は将来、私と結婚してこの旅館を継ぐんだからっ!」
女将と似たような事を言う華蓮に、清良は呆れる。
まぁこの言動からしても春斗の推察通り、清良の事を女将にあることないこと吹き込んだのだという事が分かる。
それにしても。
結婚話は一体どこから出て、どの辺りまで本気なのだろうか?
小さい子がよく“おおきくなったらおにいちゃんとけっこんするー”というのはよく聞く話だ。
だけど、大人がそれを本気にするとは思えない。
もしかしたら、その子供の戯言に便乗した形で、彼女に“大きくなったら春斗と結婚して旅館を継ぐ”という風に、意識的に刷り込ませたのかもしれないが。
そんな事を清良が思っていると、春斗が華蓮に告げる。
『僕には旅館を継ぐ意思はないし、華蓮ちゃんには悪いけど、結婚もできないんだ』
キッパリと告げられたその内容に、華蓮は大きく目を見開くと、睨み付けるように言う。
「酷いよ春斗!大きくなったら結婚してくれるって言ったじゃない!」
それは純粋な子供心ゆえの反応だろうか?
大人は時々、子供の真剣な気持ちを戯言だとしてできもしない約束をするから。
だけど、春斗は違った。
『大きくなっても同じ気持ちだったら、結婚を考えてもいいよ、と言ったはずだよ?』
「で、でも!おば様に話したら、春斗と私が結婚して旅館を継いでくれたら嬉しいって!おじ様や私のパパとママだって……!」
『それは全部、僕のいない所で盛り上がった話でしょう?僕の気持ちはどうでもいいの?』
「だって……だって!」
今にも泣き出しそうな表情の華蓮に、春斗は困ったような表情をする。
それは当然だ。
周りの大人が悪いと言えよう。
その事に思わず清良が口走る。
「最低の大人達だな……」
その言葉を聞きつけて、華蓮は矛先を清良に向けてくる。
「皆の事、部外者の貴女が悪く言わないで!」
「……部外者じゃねーよ」
そう、清良は部外者じゃない。
旅館を継ぐ継がない、という話に関しては部外者だろう。
だけど、春斗が誰を選ぶか、という話に関しては関係者だ。
もし自分と春斗が出会わなければ、もしかしたら華蓮は春斗とくっ付いていたかもしれないから。